ある学生を待ちながら――小さな書評:重松清『十字架』
2016年 11月 24日
重松清『十字架』(講談社文庫)
近年、「ポジティブであることの大切さ」が喧しく叫ばれています。悲劇的な描写を含む物語は「悲しくなるから」という理由で嫌われ、前向きであり、「スカッ」とストレスを発散させてくれるような物語が好まれる傾向にあるようです。もちろん、ポジティブであることは大切ですし、一歩前に踏み出すことの重要性は言うまでもありません。ただ、もしそれが見たくないものから目を背けるための方便として、あるいは悲劇的な事実を考えることを避けるための言い訳として使われているならば、どうでしょう。紹介する重松清の『十字架』は、そんなことを改めて考えさせてくれる本です。
物語は、中学時代のクラスメイトの自殺について、主人公である真田裕が過去を追想するという形式で語られます。20年前、裕のクラスメイトである藤井俊介はいじめに悩み、自死を選びました。その際、遺書に「真田裕様。親友になってくれてありがとう」ということばを残します。ところが、実は裕と俊介は中学に入ってから疎遠であり、しかも俊介がいじめられていたとき裕はただ黙って見ている側に立っていたのです。裕はなぜ親友と呼ばれたのかわからず、またそのことばの重みに苦しみます。しかし、他のクラスメイトのように、直接いじめに関わっていないことを言い訳に事件から逃げることはできず、残された遺族との関係の在り様を模索しながら、長い年月をかけその出来事の「十字架」を引き受けようと努力します。
重松清らしい簡潔な文体は、読み手の心に直に届き、本当に一歩を踏み出すとはどういうことかを私たちに問いかけます。是非読んで頂きたい一冊です。